東日本大震災から15年 あの時の経験から私が考える暮らしの備え

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東日本大震災の日、私たちの暮らしに起きたこと

東日本大震災から15年が経ちました。年月が経つにつれて、あの日の出来事を思い出す機会は少しずつ減ってきているかもしれません。それでも、あの日の記憶は私たちの暮らしの中に確かに残っています。私自身も震災を経験しましたが、あの日を境に、当たり前だと思っていた日常がどれほど多くのものに支えられていたのかを実感することになりました。

地震が起きたあと、町の様子は一変しました。電気、ガス、水道といったライフラインが止まり、普段は意識することのない生活の仕組みが一気に動かなくなりました。蛇口をひねれば水が出る、スイッチを押せば電気がつく、そんな当たり前のことが突然できなくなると、生活は想像以上に不便になります。

私は幸い自宅が無事だったため、避難所に入ることはありませんでした。しかし、周りには避難所で生活していた友人や知人も多く、後から話を聞くと、それぞれに大変な状況があったことを知りました。

震災による被害はとても大きく、私の周りでも、家を流され、大切な家族を失った人がたくさんいます。そうした方々のことを思うと、自宅が残り生活を続けることができた私はまだ恵まれていた方だったのだと感じます。

ライフラインが止まるということ

ライフラインが止まると、普段の暮らしがどれほどそれらに依存していたのかを強く感じます。電気が止まると照明や家電が使えなくなり、水が止まると料理や洗い物も簡単にはできません。ガスが使えないと食事を作ることも難しくなります。

こうした状況の中で、まず考えなければならなかったのは食事でした。停電しているため冷凍庫の中の食品が溶けてしまう可能性があります。そのため、家にある食材をできるだけ早く使ってしまおうということになりました。

冷凍してあった肉や食品を調理して食べることになり、震災直後の数日はむしろ普段より少し豪華な食事になってしまうという不思議な状況でした。災害時は質素な食事になるイメージがありますが、実際には冷凍庫の食材を無駄にしないためにそうなったというだけで、無駄にしないためのやむを得ない事情です。

その後、支援物資として食料が届くようになると、今度は一気に食事の内容が変わりました。配られるものはカップラーメンや菓子パンなどの簡素なものが中心でした。

しかも必ずしも家族の人数分がもらえるわけではありませんでした。限られた数の中から受け取る形だったため、家族で分け合って食べました。支援物資はとてもありがたいものですが、すぐに十分な量が行き渡るわけではないという現実がありました。

震災を経験して感じたこと

あの時の生活を振り返ると、災害は単に物が足りなくなるというだけではなく、日常の仕組みそのものが止まってしまう出来事なのだと感じます。電気、水、食料、通信、交通など、普段は当たり前に動いているものが一つずつ止まることで、生活は大きく変わってしまいます。

そしてもう一つ感じたのは、同じ震災でも人によって状況は大きく違うということです。家を失った人、家族を失った人、避難所で生活した人、自宅で生活を続けた人。それぞれに違う経験があり、それぞれに違う大変さがあります。

震災から15年が経った今でも、あの日のことを思い出すと胸が締め付けられる思いがします。しかし同時に、あの経験から学んだこともたくさんありました。普段の暮らしがどれほど多くのものに支えられているのかを知ったことは、今の生活を見つめ直すきっかけにもなっています。

こうして振り返ると、震災は遠い過去の出来事ではなく、私たちの暮らしと深くつながっている出来事なのだと感じます。次の章では、ライフラインが止まった生活の中で、実際に役に立ったものについて振り返ってみたいと思います。

ライフラインが止まった生活で実際に役立ったもの

東日本大震災のあと、電気・ガス・水道といったライフラインが止まると、普段の生活がどれだけそれらに支えられていたのかを強く実感しました。水も電気も当たり前のように使っていたものが突然使えなくなると、日常の一つ一つの行動が難しくなります。その中で、実際に役に立ったものがいくつもありました。

まず助けられたのは反射式のストーブでした。電気を使わなくても部屋を暖めることができ、さらに上に鍋を置くこともできます。寒い時期だったこともあり、暖を取れるだけでもありがたかったのですが、お湯を沸かしたり簡単な調理をしたりすることもできたので、生活の中心のような存在になっていました。

カセットコンロもとても役立ちました。停電していると電子レンジやIHは使えません。特にオール電化の家庭では、火を使える道具があるかどうかで食事の準備が大きく変わります。お湯を沸かしたり簡単な料理を作ったりすることができるカセットコンロは、非常時の生活を支える大切な道具だと感じました。

水の使い方にも工夫が必要でした。我が家ではキャンプで使っていた蛇口付きのポリタンクがあったので、それをキッチンのシンク横に置き、水がシンクに落ちるようにして使っていました。蛇口が付いているだけで手を洗ったり簡単な洗い物をしたりすることができ、とても便利でした。普段はアウトドア用品として使っていたものですが、こうした形で役に立つとは思っていませんでした。

夜の明かりも大きな問題でした。停電しているため家の中は暗くなります。我が家にはキャンプで使っていたランタンがあったので、それを使って過ごしていました。ただ、ランタンばかり使っていると電池を消耗してしまうため、ロウソクも必要になります。細いロウソクはすぐに短くなってしまうため長時間使うには向いていません。太くて長時間燃えるタイプのロウソクが役立ちました。

通信手段も大きな問題でした。地震直後から携帯電話はほとんどつながらなくなり、使えるようになるまでにはしばらく日にちがかかりました。さらに通信会社によって復旧のタイミングに差がありました。この経験から、家族全員が同じ通信会社ではなく、いくつかの会社に分かれていた方が連絡が取れる可能性が高くなると実感しました。

勤務先から支援物資として、コンビニなどで売っている使い捨てタイプのモバイルバッテリーをもらいました。あらかじめ充電されていて開封すればすぐに使えるタイプのものです。停電していると携帯電話を充電する場所が限られるため、こうしたものがあると安心感がありました。ラジオも情報を得る手段として欠かせない存在でした。

さらに役に立ったのが炭です。電気もガスも使えない状況だったため、庭にブロックを並べて簡単なかまどを作り、大きな鍋でお湯を沸かしていました。キャンプで余っていた炭や、いただいた竹炭が家にあったのでとても助かりました。お湯があるだけで食事の準備や体を拭いたりとちょっとした生活がずいぶん楽になります。

また、後になって強く感じたのが車のガソリンのことでした。ちょうどガソリンが少なくなっていて「明日入れよう」と思っていたところで地震が起きてしまいました。震災後はガソリンスタンドに長い行列ができ、なかなか給油できない状況になりとても苦労しました。燃料も生活を支える大切な備えの一つだと感じました。今ではガソリンの残量ギリギリまで車を乗り回すのではなく余裕をもって給油するよう心がけています。

こうして振り返ると、特別な防災用品というより、普段の生活やアウトドアで使っていたものが思いがけず役に立っていました。日常の道具の中にも、いざというときに生活を支えてくれるものがあるのだと実感した出来事でした。

避難所や周囲で見た「本当に困っていたこと」

震災のあと、私自身は家が無事だったため自宅で生活することができました。しかし、周りには避難所で生活していた友人や知人も多く、そこではさまざまな困難があったと聞きました。実際に話を聞いたり、周囲の様子を見たりする中で、災害時には物資や環境の面で多くの問題が起こることを知りました。

特に印象に残っているのは、赤ちゃんのいる家庭の大変さです。避難所では大人が食べる食料は比較的早く届くこともありますが、赤ちゃん用のミルクやおむつはなかなか届かず、困っている家族がいました。赤ちゃんにとっては毎日の生活に欠かせないものですが、すぐに手に入るとは限らないという現実がありました。

また、生理用品なども支援物資として届くまでに時間がかかりました。日常生活では当たり前に使っているものでも、災害時には優先順位の問題などもあり、すぐに行き渡らないことがあります。避難所では多くの人が生活するため、普段とは違う不便さや気遣いが必要になることもあるようでした。

医療が必要な人にとっては、さらに深刻な問題になることもあります。友人のお父さんは透析を受けていましたが、震災後は通っていた病院で透析を受けることができなくなりました。家族が各地の病院に連絡を取り、最終的には他県の病院で透析を受けることができたそうです。医療を必要とする人にとって災害がどれほど大きな影響を与えるのかを強く感じました。

また、避難所では思わぬトラブルが起きることもあるようです。避難所に入った友人の一人は、携帯電話を盗まれてしまいとても困ったと話していました。多くの人が集まる場所では、どうしても人の出入りが多くなります。普段はあまり考えないことですが、貴重品の管理などにも気を配る必要があるようでした。

こうした話を聞くたびに、災害の影響は本当にさまざまな形で現れるのだと感じます。私自身も親戚や同級生、同僚を津波で失いました。家を流され、大切な家族を失った人もたくさんいます。そうした方々のことを思うと、自宅で生活できた私はまだ恵まれていた方だったと思います。

震災から時間が経った今でも、そのときのことを思い出すと胸が痛むことがあります。しかし同時に、あの出来事を通して学んだことも多くありました。災害は決して特別な場所で起きるものではなく、誰の身近でも起こり得る出来事です。

避難所での生活や周囲の人たちの経験を聞く中で感じたのは、災害時には一人一人の状況によって必要なものが大きく違うということでした。赤ちゃんがいる家庭、高齢の家族がいる家庭、医療が必要な人がいる家庭など、それぞれに違った困難があります。

こうした現実を知ることで、防災や備えについて考える視点も少し変わったように思います。災害時の生活は決して一つの形ではなく、人それぞれの事情が重なり合っています。そうしたことを忘れずに、これからの備えを考えていくことが大切なのかもしれません。

15年たった今、私が思うこれからの備え

東日本大震災から15年という時間が過ぎました。当時の記憶は少しずつ遠くなっていく一方で、あの日の出来事が暮らしの考え方を変えたという人も多いのではないでしょうか。私自身も、震災を経験するまでは防災について深く考えることはあまりありませんでした。けれどもライフラインが止まり、普段の生活が当たり前ではないと気づいたことで、日々の暮らしの見方が変わったように思います。

震災後しばらくは、ニュースや特集などで防災について取り上げられる機会も多くありました。しかし年月が経つにつれて、日常の忙しさの中で少しずつ意識が薄れてしまうこともあります。災害はいつ起こるか分からないものですが、普段の生活が落ち着いているとどうしても遠い出来事のように感じてしまうことがあります。

それでも、あの時の経験を思い返すと、特別な準備よりも日常の暮らしの中にある備えが大切なのではないかと感じます。反射式のストーブやカセットコンロ、キャンプ用品など、もともと家にあったものが思いがけず役に立ちました。普段の生活で使っているものでも、状況が変わると別の形で生活を支えてくれることがあります。

また、震災を通して感じたのは、人それぞれ置かれている状況が違うということでした。赤ちゃんがいる家庭、高齢の家族がいる家庭、医療を必要とする人がいる家庭など、必要とするものは一人一人違います。防災について考えるときも、「一般的な備え」だけではなく、自分や家族の生活に合わせて考えることが大切なのかもしれません。

15年という時間の中で、私たちの暮らしも少しずつ変わってきました。スマートフォンやインターネットの普及、住宅設備の変化など、生活の便利さは以前より増えています。一方で、その便利さに頼る部分が増えたことで、ライフラインが止まったときの影響はより大きくなっているようにも感じます。

災害について考えるとき、どうしても不安な面ばかりに目が向いてしまいます。しかし、備えというのは必ずしも大がかりなことをする必要はありません。普段の生活の中で少し意識を向けるだけでも、できることはたくさんあります。

たとえば、家の中にある道具を見直してみること、普段使っているものを少し余裕を持って準備しておくこと、家族と連絡の取り方を話しておくことなど、小さなことでも積み重ねていくことができます。そうした日常の中の工夫が、いざというときの安心につながることもあるのではないでしょうか。

東日本大震災で多くの人が大切なものを失いました。私の周りでも、親戚や同級生、同僚を津波で失っています。今もなお、その悲しみを抱えながら生活している人がいます。そのことを忘れずにいることも、震災を経験した私たちにできることの一つなのかもしれません。

15年という節目に、改めてあの日を振り返ることで、普段の暮らしを見つめ直すきっかけになればと思います。特別なことをするというより、日常の中でできる備えを少しずつ考えていくこと。それがこれからの暮らしにつながっていくのではないかと感じています。

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